「もっと生産性を上げましょう」
職場でも社会でも、そんな言葉を聞くたびに、うっすら冷める。
生産性が上がって得をするのは、たいてい経営者だ。
労働者の賃金は、そう簡単には上がらない。
頑張っても、効率よくやっても、評価されるのは一瞬。
そのあとには、“もっとやって当然”の空気が残るだけ。
誰にも邪魔されず、
ただ無心で手を動かせるときだけ、
自分の中の生産性が少しだけ高まる。
でもそれって、たぶん「生産性」とは違う。
ただ“集中してる”だけだ。
生産性が高くても、低くても、給与は変わらない。
むしろ、頑張りすぎる人を見てると、
「それ、あなたのためになってる?」って思うことすらある。
もちろん、無駄だらけの仕事にはイライラする。
忘れ物、探し物、伝達ミス。
効率よく回せるはずのところで、毎日同じように足を取られる。
でもそれすら、誰かが管理したり調整したりしない限り、
改善されることはない。
生産性の正体は、たぶん──
剰余価値の最大化だ。
経営者がより多くを得るために、現場の労働者が削られる構造。
だから、生産性がどうとか言われても、
こっちは「はいはい」って聞き流して、
今日もほどほどに働く。
評価されなくてもいい。
怒られない程度にやって、
ちゃんと帰って、静かに暮らせたらそれでいい。
──副業向いてない男